小学校、中学時代、よくゲームをしていた。
ドラクエやファイナルファンタジーなどのRPGなどを主にやっていた。
レベルを上げ、強いボスを倒し、世界がどんどん広がっていくときの楽しさは計り知れなかった。
1日何十時間とゲームをやっていたこともあった。
うまくいかない学校生活や人間関係で悩んでいた時にゲームをやって忘れられた。
しかし
現実の世界ではない、ゲームの中の世界は広がっていくが、ふと気付くと「ポツン・・・」
とテレビの前で一人残されている自分がいたことにある日、気づく。
テレビのスイッチは消えていて、黒い画面に自分のコントローラーを握っている自分を見た。
そんなときに無性に寂しさというかむなしさを感じた。
もしかしたら、ゲームの時間は、「無駄な時間かもしれない」と気付いたのは中学2年生の頃だ。
エイメイに入り、定期テストに向けて「勉強」というものを知った。
エイメイで勉強をして、テストの点数が上がっていったときに味わうことができる、達成感を感じた。
それは、あのゲームでボスを倒したときの感覚とは違った楽しみがあった。
レベル上げとは違う、自分自身の成長を感じた。
ゲームというのは、全クリしてしまうとほぼおしまいだ。
エンディングをみておしまい。
隠しダンジョンや近頃は全クリ後も楽しめるステージがあるかもしれないが、基本的には、ゲームにその先に続くものはない。
しかし、「勉強」には先があった。
定期テストがあり、中学3年生になると受験がある。
とくに、数学や英語は積み重ねの教科だ。
1,2年生の頃の積み重ねが3年生に活きてくる。
そして勉強には、ほぼ終わりはないといわれている。
また、勉強の頑張りは、即、自分自身の評価につながる。
先生が認めてくれたり、友だちが誉めてくれたり、親が何かご褒美を用意してくれたりした。
ゲームの頑張りが、即、自分自身の評価につながらないことはないが、勉強以上の相当の頑張りがないと、評価は難しいだろう。
プロゲーマーを目指すという人がいてもいいと思うが簡単ではない。
ゲームより、勉強のほうが評価をもらいやすい。
一方、勉強では自分の重要感、大切さを満たしてくれる。気づかせてくれる。
自信を与えてくれ、様々なチャンスが広がることもある。
これを利用しない手はない。
短期的な目でみると、ゲームをやっていたほうが楽しい。
目の前のゲームをとってしまうと悲しい気持ちは痛いほどわかる。
モンハンやウイイレをやりたい気持ちもよくわかる。
ゲームをやるな、とは言わない。
ただ立ち止まって考えることをしてほしい。
でも長期的な目でみると、果たしてどうだろうか。
大人になったときのことを考えるとどうか。
人間だからどうしても、目先の楽しみを追い求めてしまうのはよくわかる。
しかし、長期的な視点でみて、もし間違っている方向へいっているな、と思ったら、
そのときに軌道修正していく力も必要だ。
いつでも人生はやり直せるし、悪い状態が続くときでも復活はできる。
もし、今の自分の状態が良くなくて少しでも良くしたい、変えていきたい、と思うなら、いつからでもやりなおせる。
大切なのは、過去でも未来でもなく、今ここ。
そのときに大切なのは、気持ちではなく、具体的な行動を変えることだ。
たとえば、机に向かってみるのも良いし、教科書をひらいてみるのも良いし、溜まっているプリントを整理するのも良いし、携帯を塾に預けたり、朝早めに起きたりするのも良い。
気持ちではなく、具体的な行動を変えることだ。
そんな風にして、人は成長していくものだ。
今の自分も何度も軌道修正しながら来た。
だからそんなときに生徒にアドバイスをするようにしている。
「うまくいかないときは、堕ちていくのではなく、軌道修正を加え、具体的な行動に移していこう」と。
これからもそうしていきたいと思う。
うまくいかなくなったときは、軌道修正を加えながら、充実した日々を過ごしてほしい。