大学2年の秋、野球部のリーグ戦の打ち上げが池袋であった。
大手チェーンの居酒屋での打ち上げ。
そのシーズンも主戦として試合で活躍して、楽しい打ち上げになるはずだった。
しかし、会が終わる前にいてもたってもいられなくて、店外に出た。
店内の熱気とは裏腹に外はひんやりして、火照った頬に涼しい夜風を感じた。
きらびやかなネオンの光とは対象に、自分の気分は池袋の裏の路地のように暗く沈んでいるものだった。
どうしても許せないOBと先輩がいた。
飲み会の席でいじってきたことに過敏に反応した自分は、そのまま腹を立ててその場を去ってしまった。
「何で打ち上げにOBなんか来るんだよ。」
「あの先輩は大して試合で活躍してないのに、なんで偉そうにしてるんだよ。」
「この打ち上げがつまらないものになった原因は、あのふたりだ。」
そう心の中では思っていた。
問題は自分にあるのではなく、外にあるものだと思っていた。
自分は悪くない。
悪いのはあのふたりだ。
あのふたりの欠点をいくつも無意識にもあげていた。
当時は自覚できなかったが、振り返ってみると、「箱」の中に入っていたのは自分だった。
ゆがんだ目でOBと先輩を見てしまっていた。
もしかしたら、OBや先輩は、場を盛り上げようと、打ち上げを楽しませようというつもりで自分をいじってきたのかもしれない。
そのことには気づけなかった。
打ち上げの会場から出た後に、ふたりの欠点を探した。
そのことで自己正当化しようという気持ちが生まれた。
そういう気持ちが生まれたのは、その前に自分を裏切ってしまっていたからだった。
「自己欺瞞」をしたからだ。
本当は打ち上げの場に最後までいて、チームメイトたちや先輩たちと楽しもう!というのがいちばん良いことなのに、それをしないで、自分の気持ちを裏切ってしまった。
打ち上げの途中も話にのれない自分にイライラしていた。
いや、その前からその先輩が試合でエラーしたり、凡打をする度に「下手くそ」とか「使えない」と思っていた。
相手を自分と同じ感情のある人間として見ることはできていなかった。
試合に負けても自分は悪くない。
あの先輩がいるから試合に負けたんだ。
責任は自分にはない。
本気でそう思っていた。
試合後のミーティングでも、しっかり伝えることはしなかったし、先輩の話を聴くこともしなかった。
「箱」の中に入っていると、何もかもが逆効果になった。
自己正当化のために相手の欠点が必要になる。
というのを大人になってから学んだ。
生徒たちには、箱の中に入らないようにすること。
箱の中に入ってしまった時の対処法
自身の苦い経験から伝えている。