数年前、中学校の合唱コンクールに招かれて鑑賞してきました。
普段、授業では見せないような?真剣な表情で歌っている姿が見られました。
指揮者や伴奏者として活躍している生徒もいました。
そこで、印象に残った出来事がありました。
行事でアクシデントはつきものですが、歌の途中、あるクラスの伴奏者の手が止まってしまいました。
指揮者や歌はそのままだったので、アカペラのところなのかな?
と思ったりしましたが、どうやら違ったようです。
ピアノ演奏が止まってからしばらくして、またピアノの音色が聞こえてきました。
その後は最後までピアノの音が途切れることなく、その子はピアノ伴奏をやり抜きました。
全ての曲が終わり、ステージから自分の席に戻る時に、そのピアノ伴奏の子を見ると、顔を隠して泣いていました。
おそらくみんなの前で失敗してしまったこと、申し訳なくて、自分のことをみじめに思って流した涙だったのでしょう。。
周りから見たらそこまで大したことのない出来事でも、本人からしたら大きな出来事だったかもしれません。
人生の必須科目は、英語や数学ではなく、「失敗してしまったみじめでちっぽけな自分と向き合うこと」かもしれません。
うまくいかなかったこと、みじめな思いをした時にどう乗り越えていくか。
その経験が大人になってからが財産となります。
また、他者を思いやる優しい気持ちにつながります。
心の傷はかさぶたになり、たくましくしてくれるものです。
こんなエピソードもあります。
ある生徒がまわりの反対を押し切って、生徒会に立候補しました。
その生徒にとって勇気を出してのチャレンジでした。
その日から演説の言葉を覚えたり、推薦者を募ったり、熱心に選挙の準備に取り組んでいました。
「生徒会に入ったら学校を良くしたいんだ!」と胸を張って言ってくれました。
しかし、その生徒は、他の立候補者に負けて、残念ながら生徒会に落選してしまいました。
そのことを報告してくれた時は、肩を落とし、いつもの元気はなく、さすがに落ち込んでいる様子でした。
全校生徒の前での演説も時間切れでうまくいかなかったようです。「恥ずかしかった」と言っていました。
しょんぼりしているその生徒に声をかけようと思ったところ、「でも、今度は合唱コンクールの実行委員がんばるよ」と言ってくれました。
その生徒なりの精一杯の切り替えだったのでしょう。
最近では、合唱コンクールに気合いが入ってて、「絶対にクラスで最優秀賞を取るんだ!」といつもの元気を取り戻し、言ってくれています。
立ち直ったその生徒の姿を見てたのもしく思いました。
ピアノ伴奏者の子と生徒会に立候補した子の共通点は、「挑戦」と「失敗」です。
そもそも、ピアノ伴奏をやっていなかったら…、生徒会に立候補していなかったら…。
挑戦したからこそ、失敗をしてしまったのです。
しかし、長い目で見ると、その失敗は本当の失敗ではないかもしれません。
失敗をして、「ちっぽけでみじめな自分と向き合う」という貴重な苦い経験も、学生時代に必要な経験かもしれません。
また、伴奏者の子が最後までその場から逃げずに伴奏をやり抜いた経験、生徒会落選後も、
次の目標に向けて気持ちを切り替えてがんばる経験は、
失敗しなければ学べなかった経験かもしれません。
困難なことがあった後、どう乗り越えるかを子どもたちには学んでほしいと思っています。
いつかは保護者様も、手を貸して助けてあげることができなくなるからです。
なので、失敗もひとつの良い経験だとしたら、
失敗を恐れて何も挑戦しないことが本当の失敗かもしれません。
人生の必須科目とは、「みじめでちっぽけな自分と向き合うこと」、「そこからどう乗り越えるかを学ぶこと」かもしれません。
「親」という漢字は、「木の上に立って見る」と書きます。
子どもたちの成長を時には厳しく、時には温かく見守っていきます。